ファッション、つまりあなたが着る服やコーディネートは、あなた自身を映し出す鏡ではないでしょうか。
どんな安い服で適当なコーディネートでも、あるいはどれだけ高価なブランド品で揃えたコーディネートでも、それらは着る人自身が、
「これで問題ない」
または、
「この服またはコーディネートが気に入っている」
と思って着ているはずです。
「この恰好は問題がある」
とか、
「このコーディネートは気に入らない」
と思いながら出歩くことはほとんどないと思います。
つまり、その人が選んだ服やコーディネートは、多かれ少なかれその人自身の美意識というものが介在しているはずです。
すでにファッションにこだわっている人はさておき、
「とりあえず何でもいいや」
と思って適当な服を着ているとき、周りの人はあなたの服装についてほとんど気にならなかったのに、
あなたが服に気に遣って、
「これがいい」
と思った服やコーディネートに替えた途端、あなたのファッションについてのセンスが
他人により強く映し出されるようになります。
周りの人は何の変化もないかもしれませんし、もしかしたら(あなたの服装に)好意を寄せてくれる人が
現れるかもしれません。
逆に嫌悪感を持たれる可能性もあるわけです。
いずれにしても「服にこだわる」という行為は、ちょっと大げさかもしれませんが
あなたの内なる心の一部を「ファッション」という形で顕在化させる、ひとつの芸術だと思っています。
単に自己満足のためにいい服をみにつけているだけかもしれませんし、
いわゆる「モテたい」ための手段かもしれませんが、結局、ファッションは一種の「アート」なわけで、
タイトルに記した「自分を映し出す鏡」じゃないかと、ふと思いました。
以前「コンゴのサプール」について投稿した記事で、
「自分だけでなく周りの人もすれ違いざまに『おっ』と思えてもらえるなら嬉しい」
と書きました。
それからさほど時間が経っているわけではありませんが、今もその気持ちは変わりませんしこれからも変わらないと思っています。
そのことを心の隅に置いてファッションと向かいあっていけば、外見だけでなく自分の内なる心も自然に磨かれていくのではないかと思います。
...と、まとまりもなくやや大げさな内容になってしまいましたがこの辺で(笑)。